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    県陵33回卒生同窓会長 浅香久寿(鉄兵)(D組)


    我々33回生も昭和56年県陵を卒業し、早いもので再来年には30年目を迎えますね。皆さんお変わりなくお元気ですか。きっとそれぞれのシーンでご活躍されていると思います。
     
    私たちの在学中スタートした「母校愛のリレー」事業がその歳月を経て、私たち多くの校友が集う機会と母校県陵への恩返しする機会が巡ってきました。これまでに草間典男実行委員長を筆頭にクラス実行委員を中心に準備をすすめてきました。あらためて後日皆さんに届く「趣意書」に賛同いただき、引き続きご協力をお願いします。
     
    当時は若者を三無主義と批評するフレーズがあふれていました。しかし我々は反して血気盛んで、母校愛と県陵気質がみなぎっていたように思い出されます。県陵祭テーマ「疾風怒濤」の如く、県陵の歴史に一頁を刻んだのは我々33回生です。
     
    私たちがこの節目に今一度ここに結集して、母校の発展と後輩の士気高揚のため、意義ある事業にしましょう。熱く県陵を語り会うその日を楽しみにしています。
     
     
    「同窓会名その由来」
    母校県陵への愛校精神を表し、同志の思いが燦々とふりそそぐように“33(さんさん)回生”とマッチングさせた。
     
    「シンボルマークの由来」
    3色彩は“県陵三大精神”を表し、“県陵愛”が伝統として未来永劫継承さえ得るようイメージした。
    デザイン担当:土肥正和君

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    実行委員長 草間典男(A組)

    みんなお元気ですか。このたび、母校愛のリレーの実行委員長を おおせつかりました
    ・・A組(戸塚組)の草間典男です。

    なぜ? 小生がこの様な大役を務める運びになったのかって? う~~ん。
     高校3年の夏の高校野球、2回戦東海第三高校にコールド負けを し、野球部を引退、それから進路を決める時に、親から「国鉄」 を勧められ、迷わず就職。

    学年で11人しか就職組がいなかったのと、地元に就職したのが自分だけだったと言う理由から・・な ぜか自動的に「学年代表の常任理事」に任命された。

    同窓会から の通知が事ある毎に届き、多少無視をしながらも、たま~に会議 に出席。そんな28年間でした。そして、今回の大イベントに際 し、なんとなく、自動的にそんな空気になった・・・と言う訳です。

    まあ、目立ちたがり屋の血が多少流れていますが、引き受け たからには、一生懸命やらねばと今決意をあらたにしています。 どうぞ、ご理解とご協力をお願いします。


     先日も実行委員会を開き、久しぶりに当時の仲間が顔を合わせると、やっぱり同級生はいいな~って心から感じました。言葉も飾 らず、気の許せる仲間が集まる時間が、私にとって至福の時です。
     今回の記念事業は、肩肘を張らず、等身大の内容を心掛けて、友情を確認し合えるイベントにしたいです。

    30年ぶりに「県陵祭」 をやる様な、ドキドキした気持ちでいます。(野球部は大会前で 参加してなかったけどね)

     最後にお願いがあります。 実行委員会を組織するにあたり、お声をかけずに失礼している仲間が沢山いるんだと思います。「所詮、あの草間がやる事だから、仕方ないな~。」と広い心で受け止めて頂けると有りがたいです。お許し下さい。

     実行委員会は一応立ち上げましたが、本格的に始まるのはこれからです。より多くの仲間でつくりあげて行きたいので、「俺も私も参加するよ!」とおっしゃって頂ける方は、是非是非、ご一報下さい。

     大歓迎です。お願いします。
     では、正月1月2日には同級会を開催するクラスもあります。みんなと会って、当時を語って、28年間を振り返る時間が楽しみです。

     いよいよ寒さも増してきます。お身体にご自愛され、益々のご活躍を!  草間典男(A組)
     

    事務局 高木 和久(C組)

     県陵在学当時、卒業も危ういほど授業に出ず、喫茶店に行って未成年には御法度の×××を吸いながら本を読んだり、下手なくせに誘われると断れず雀荘に入り浸ったり、優等生にはほど遠い、不真面目な高校生活を送っていた私は、友人といえば数少ない悪友ばかりでした。

    たまたま運悪く同じクラスだった人以外は、ほとんど名前も知らないのではないかと思います。
    昔、同窓会活動に熱心だった(?)D組の赤津猛君が仕事の関係で茨城に引っ越すこととなり、「悪いけど、あと頼むね」と、丸投げされて事務局をやる羽目になったC組の高木和久と申します。
     
    出身は組合立鉢盛中学校、所属のクラブは生物研究部、3年間冬季以外は山形から自転車で片道14キロの距離を往復し、あまりの面倒さに登校するふりをして、母親がパートに出るのを遠くで見届けてから、家へ舞い戻って寝ていたこともありました。
     
    こんな人間が事務局をやっていること自体、当の本人の私も不思議でならないのですが、実際、幾許か高校時代の私を知っている同期の仲間は「なんでお前が?」「事務局をやるタイプには見えなかった」などとのたまいます。しかしそれは、私の人間が「変わった」というよりは、やはり「県陵が好きだから」ということに尽きるように思います。
     
    今、手元に1冊の本があります。タイトルは「どくとるマンボウ青春記」(北杜夫著)。中学生のときに280円出して買った文庫本です。物理や化学の珍答案、多くの名物教授(旧制高校の先生は「教諭」ではなく「教授」)、黒マントに高下駄で松本の町を闊歩していた松高生が目に見えるような名著です。

    ここに描かれた随分と哲学的ではあるが、自堕落かつ馬鹿げた寮生活を送っていた旧制松高生の世界が私には憧れで、何度も何度も読み返したものです。これぞまさしく「バンカラ」。「バンカラ」であることがどれほどカッコ良かったか、古き良き時代だったと言えるでしょう。
     
    もしかすると他の多くの同期の皆さんもそうかも知れませんが、中学時代の成績と進路指導により県陵を受験した私は、そもそも「県ヶ丘高校」にそれほど興味を持っていた訳ではありません。合格発表も見に行かなかったほどで、中学からの連絡がないことと、翌日の新聞に自分の名前があることでどうやら「合格」したらしいことを知ったくらいです。
     
    しかしながら、合格通知が届き、少しづつ届く県陵の噂はどれも謎めいて怪しげなものばかりでした。曰く「対面式では先輩から投げられた小麦粉と生卵が頭の上から降ってくる(前年にPTAからの苦情が殺到し、たまたま自粛になったらしい)」「新歓コンパで生きたドジョウや金魚を飲まされる(一部本当にあったと聞くが、鉢盛の新歓コンパでは、前年にこれまた未成年には禁止の××を飲んで謹慎さわぎがあったため、音楽の故古池先生が同席され、闇カレーと1時間ほどの正座で終わる)」

    「応援練習で10曲近くもある応援歌をその場で暗記させられ、できなければ覚えるまで立たされる(これはかなり近い状況だったのでは)」などなど、今ならモンスターペアレンツでなくても、「イジメだ!」と大騒ぎになりそうなことばかりですが、こうした手粗い先輩たちの歓迎(洗礼?)の噂も、その頃の私には、「何だかよく判らないけど、どうも面白そうな高校生活」になりそうな予感がして、妙にワクワクしていたこともまた事実なのです。
     
    私は信州大学のOBではないので、はっきりとしたことは判りませんが、旧制松本高校が当時持っていた「バンカラさ」は、土地柄近所だったこともあって、信大よりも県陵に色濃く引き継がれたのではないかと感じています。「デカルト・カント・ショーペンハウエル」の略と言われる「デカンショ」や、「県陵祭記念歌」の号令が「アイン・ツヴァイ・ドライ」とドイツ語だったりするなど、当時の記憶をたどれば「どくとるマンボウ青春記」に語られる旧制松高生と、私が知る県陵生とはいろいろな点でダブる部分が多いのです。ただし、我々は彼らほどストイックではなく、また哲学的でもありませんでしたが。
     
    しっかり3年間高校生活をエンジョイした私は、後年、勉強や生徒会、部活動など高校生らしいことをもっとやっておけばよかったと後悔することになります。卒業からそろそろ30年になるというのに、時計の針が逆回りすることもある筈がなく、今更高校時代には戻れません。しかし、同窓会は、その「時」を超えることができる唯一の場所なのです。やり直しはできなくても、これから何かすることはできるのです。それも県陵生、いや県陵OBとして。
     
    これから1年と半年の間、お互いあまり焦らないで、3年の時の強歩大会のようにゆっくりゆっくり、しかし確実にゴールを目指して完歩しましょう!幸い「縣陵愛さんさん会」は会長の鉄兵君、実行委員長の草間君のツートップを、多くの仲間が支えています。前後の先輩・後輩よりも、我々33回生にはある種のつながりがあるように感じます。そこに少しでいいから参加してみませんか?「愛のリレー」は大勢の皆さんのご協力がなければなし得ない事業です。クラスの同級会、学年全体の同窓会。そしてフィナーレの創立記念式典と東京同窓会。参加のチャンスは何度もあります。そう言えば募金も。
     
    皆さまのご参加、お待ちしております。
     
     昭和55年の強歩大会で公式に「最下位」でゴールした
                                 C組 高木 和久
     

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