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    事務局 高木 和久(C組)

     県陵在学当時、卒業も危ういほど授業に出ず、喫茶店に行って未成年には御法度の×××を吸いながら本を読んだり、下手なくせに誘われると断れず雀荘に入り浸ったり、優等生にはほど遠い、不真面目な高校生活を送っていた私は、友人といえば数少ない悪友ばかりでした。

    たまたま運悪く同じクラスだった人以外は、ほとんど名前も知らないのではないかと思います。
    昔、同窓会活動に熱心だった(?)D組の赤津猛君が仕事の関係で茨城に引っ越すこととなり、「悪いけど、あと頼むね」と、丸投げされて事務局をやる羽目になったC組の高木和久と申します。
     
    出身は組合立鉢盛中学校、所属のクラブは生物研究部、3年間冬季以外は山形から自転車で片道14キロの距離を往復し、あまりの面倒さに登校するふりをして、母親がパートに出るのを遠くで見届けてから、家へ舞い戻って寝ていたこともありました。
     
    こんな人間が事務局をやっていること自体、当の本人の私も不思議でならないのですが、実際、幾許か高校時代の私を知っている同期の仲間は「なんでお前が?」「事務局をやるタイプには見えなかった」などとのたまいます。しかしそれは、私の人間が「変わった」というよりは、やはり「県陵が好きだから」ということに尽きるように思います。
     
    今、手元に1冊の本があります。タイトルは「どくとるマンボウ青春記」(北杜夫著)。中学生のときに280円出して買った文庫本です。物理や化学の珍答案、多くの名物教授(旧制高校の先生は「教諭」ではなく「教授」)、黒マントに高下駄で松本の町を闊歩していた松高生が目に見えるような名著です。

    ここに描かれた随分と哲学的ではあるが、自堕落かつ馬鹿げた寮生活を送っていた旧制松高生の世界が私には憧れで、何度も何度も読み返したものです。これぞまさしく「バンカラ」。「バンカラ」であることがどれほどカッコ良かったか、古き良き時代だったと言えるでしょう。
     
    もしかすると他の多くの同期の皆さんもそうかも知れませんが、中学時代の成績と進路指導により県陵を受験した私は、そもそも「県ヶ丘高校」にそれほど興味を持っていた訳ではありません。合格発表も見に行かなかったほどで、中学からの連絡がないことと、翌日の新聞に自分の名前があることでどうやら「合格」したらしいことを知ったくらいです。
     
    しかしながら、合格通知が届き、少しづつ届く県陵の噂はどれも謎めいて怪しげなものばかりでした。曰く「対面式では先輩から投げられた小麦粉と生卵が頭の上から降ってくる(前年にPTAからの苦情が殺到し、たまたま自粛になったらしい)」「新歓コンパで生きたドジョウや金魚を飲まされる(一部本当にあったと聞くが、鉢盛の新歓コンパでは、前年にこれまた未成年には禁止の××を飲んで謹慎さわぎがあったため、音楽の故古池先生が同席され、闇カレーと1時間ほどの正座で終わる)」

    「応援練習で10曲近くもある応援歌をその場で暗記させられ、できなければ覚えるまで立たされる(これはかなり近い状況だったのでは)」などなど、今ならモンスターペアレンツでなくても、「イジメだ!」と大騒ぎになりそうなことばかりですが、こうした手粗い先輩たちの歓迎(洗礼?)の噂も、その頃の私には、「何だかよく判らないけど、どうも面白そうな高校生活」になりそうな予感がして、妙にワクワクしていたこともまた事実なのです。
     
    私は信州大学のOBではないので、はっきりとしたことは判りませんが、旧制松本高校が当時持っていた「バンカラさ」は、土地柄近所だったこともあって、信大よりも県陵に色濃く引き継がれたのではないかと感じています。「デカルト・カント・ショーペンハウエル」の略と言われる「デカンショ」や、「県陵祭記念歌」の号令が「アイン・ツヴァイ・ドライ」とドイツ語だったりするなど、当時の記憶をたどれば「どくとるマンボウ青春記」に語られる旧制松高生と、私が知る県陵生とはいろいろな点でダブる部分が多いのです。ただし、我々は彼らほどストイックではなく、また哲学的でもありませんでしたが。
     
    しっかり3年間高校生活をエンジョイした私は、後年、勉強や生徒会、部活動など高校生らしいことをもっとやっておけばよかったと後悔することになります。卒業からそろそろ30年になるというのに、時計の針が逆回りすることもある筈がなく、今更高校時代には戻れません。しかし、同窓会は、その「時」を超えることができる唯一の場所なのです。やり直しはできなくても、これから何かすることはできるのです。それも県陵生、いや県陵OBとして。
     
    これから1年と半年の間、お互いあまり焦らないで、3年の時の強歩大会のようにゆっくりゆっくり、しかし確実にゴールを目指して完歩しましょう!幸い「縣陵愛さんさん会」は会長の鉄兵君、実行委員長の草間君のツートップを、多くの仲間が支えています。前後の先輩・後輩よりも、我々33回生にはある種のつながりがあるように感じます。そこに少しでいいから参加してみませんか?「愛のリレー」は大勢の皆さんのご協力がなければなし得ない事業です。クラスの同級会、学年全体の同窓会。そしてフィナーレの創立記念式典と東京同窓会。参加のチャンスは何度もあります。そう言えば募金も。
     
    皆さまのご参加、お待ちしております。
     
     昭和55年の強歩大会で公式に「最下位」でゴールした
                                 C組 高木 和久
     

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